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2017.06.22

大腸全摘しました(息子が)

今日(2017年6月22日)、次男が大腸全摘の手術をしました。



病名は潰瘍性大腸炎。
昨年の同時期から、書いていた内容ですが、
うちの息子(30代前半)は、薬が効かない難治性で、
最終的に、大腸全摘をすることになりました。


昨年はプログラフで快方に向かい退院、
転職もうまくいって、退院半年後に、
高校の実習助手(公務員)として、
この春から働き始めたのですが、
GW明けに再びひどい腹痛が再燃しました。



そして、実家から離れた転職先近くの病院(現かかり付け医)
に緊急入院するも、入院先のドクターに、
「今後は手術(大腸全摘)も念頭に入れた方がいい」と言われ、
昨年入院していた病院(実家の家族がサポートできる距離)
への転院を勧められました。





うーん、いや、正確には、ちょっと違うかな。

プログラフとか、ヒュミラとか、
色々試してきたけど、捗々しい進展がない息子が、
一向に好転しない病状の回復に、
段々、嫌気がさしてきたんだと思います。



ある日、「俺、手術に傾いている」
と、LINEでメッセージしてきて、
色々、やりとりも何度もしましたが、
最終的に、今日のこの日になりました。



手術は、3回行います。



1回目の今日は、
大腸を全摘して、人工肛門(ストーマ)にする手術です。



全身麻酔で所要時間は4時間ですが、
麻酔に入る前と後を入れて、
5時間と言われました。
終了はほぼ時間通り。



手術後は、集中治療室に一泊の予定。



今回は、大腸全摘。
次回は、直腸を取って、便がたまるように、
小腸の形を袋状に細工して、肛門と縫合。
でも人工肛門(ストーマ)はそのまま。



最後の3変え目の手術で、
人工肛門(ストーマ)をなくして、
最終的に自力排便にするというプランです。

2017.05.15

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~16.16.再1年後、就職の一か月後にまた再入院

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院  02.S総合病院  03.子供の頃のように手をさすってあげたい  04.ツムツムのお知らせが安心のサイン  05.提案により転院を選択  06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう  07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)  08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生  09.親として言葉や行動に敏感になる日々  10.プログラフが効いてきました  11.イムラン 寛解への準備  12.アパートを引き払う  13.病院で2か月ぶりの食事  14.退院までは思った以上に長かった 15.退院は喜びもなくあっけなく 16.1年後、再就職の一か月後にまた再入院←★ただいまご覧の記事はこちらです。


独立して市内でアパートを借り、一人暮らしをしていた息子(30代)が潰瘍性大腸炎を発症したのが昨年の5月。



本当はもっと前に、たまに症状は出ていたようですが、仕事にも行けないほどひどくなって、取りあえず実家に戻ってきたのが、昨年のGW(5月)。



その日から会社を休んで、床に伏しながら近隣の個人病院で治療を続けるも、一向に改善せずに総合病院に入院したのが昨年の7月 → 一週間後に転院。



そして絶食とプログラフで、まぁまぁよくなりはしたものの、誰が見てもまだまだ万全じゃない状態に見えるのに、突然あっけなく退院を告げられて退院したのが、昨年の9月(2か月半の入院)。



その後、再就職(高校の実習助手)の試験に受かってそれまでの会社は辞め、実家で静養を続けていたものの、決定された赴任地が実家から車で2時間以上かかる地域だったため、そこにアパートを借りて引っ越し、再び一人暮らしを始めた次男でしたが、新しい仕事に就いてからわずか1か月後に、またまた不調に陥って(お腹の激痛)、再び仕事を休んで再入院することになってしまいました。



「すごくお腹が痛い」「今から(夜の20時)でも病院に行った方がいい?」「病院には一応連絡した」「ひどかったら来てもいいと言われてある」



そんなLINEメッセージを次々と受け取っても、その日、自分は出張の仕事で遠方におり、電話で話をすることしかできませんでした。



聞けば、副顧問として担当している、某女子運動部の生徒さん達の人間関係が最悪で、イジメに近い状況まで発生しているとのこと。



そんな息子の話を、私は(マズイな・・・マズイな・・・)と思いながら聞いていました。イジメに似た状況が発生しているのがマズイのではなく、そんな環境下で思い悩み、心を痛めている息子の状況のほうを危惧しました。そんなところに居たら、絶対に体調が悪化する・・・



その予感は的中し、翌朝を待って病院に行った息子は、即日入院になりました。なんと、昨年、入院した時よりもCRPの値が非常に悪く、「6」ということでした。(昨年の入院時は、悪い時でも0.4でした)

2016.09.19

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~15.退院は喜びもなくあっけなく

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院  02.S総合病院  03.子供の頃のように手をさすってあげたい  04.ツムツムのお知らせが安心のサイン  05.提案により転院を選択  06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう  07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)  08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生  09.親として言葉や行動に敏感になる日々  10.プログラフが効いてきました  11.イムラン 寛解への準備  12.アパートを引き払う  13.病院で2か月ぶりの食事  14.退院までは思った以上に長かった 15.退院は喜びもなくあっけなく ←★ただいまご覧の記事はこちらです。


中等症と重症の間ぐらいの潰瘍性大腸炎で、6月の半ばに入院した息子(30代)ですが、お陰様で8月の末に退院いたしました。75日間の入院でした。



実は一度、その一か月前の7月の末(入院後一か月半)に、担当医師から「早ければ今週中に退院できるかも」と言われたことがありました。血液検査の数値が改善し、息子の体調が安定していた頃です。このときは本人も家族も、「やっと来たか!」みたいな感じでうれしさを隠せず、退院後の生活についてあれこれ前向きな話をしていた時期でした。



ところがその後の検査で、血液検査の数値上は改善しても、息子の潰瘍性大腸炎(全腸型)は、深い部位がまだ直っていないことがわかりました。その時点で、退院の話はなんとなくフェイドアウトした形になってしまいました。息子の体調も、その後は進展がなく、たまに悪かったり、たまによかったり、こういうのを一進一退と言うんでしょうね。



で、それからが思った以上に長かったのですが、結果的に、退院の日は、あっさりと、そして、あっけなくやってきてしまいました。 「やってきてしまいました」と表現したのは、症状が大きく改善しての退院ではないからです。



これは息子からのまた聞きですが、先生のお話では「これ以上居ても、進展はなさそうだから、入院しても自宅に居ても同じ」という理由で、突然、退院を打診されたそうです。これ以上進展がなさそうだから”退院”というのも、なんとなく手放しでは喜べない話ですが、先生によると息子の潰瘍性大腸炎は「慢性持続型ではないか?」ということでした。



潰瘍性大腸炎は、臨床経過による分類として以下のように分けられます。※潰瘍性大腸炎は、原則として治る病気ではないため「全快」という概念がなく、発症が何もなく普段通りの暮らしができて安定を保っている状態になることを「寛解(かんかい)」と言います。私なんかは、寛解というと、統合失調症など、精神分野を思い浮かべてしまいますが^_^;・・・



【初回発作型】・・・発症時のみ症状があったものの、その後再燃はみられない場合。(その後の経過で多くは再燃寛解型になる場合が多い。)
【再燃寛解型】・・・再燃と寛解を繰り返す場合。
【慢性持続型】・・・発症から6か月以上、血便や下痢などの症状が続く場合。
【旧姓劇症型】・・・きわめて強い症状で発症した場合。(中毒性巨大結腸症、穿孔などの合併症をともなうことも多い。)

(出典:潰瘍性大腸炎の正しい知識と理解(第4版))



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ちなみに、上記が掲載されている「潰瘍性大腸炎の正しい知識と理解(第4版)」という冊子は、息子が最初に入院した病院で渡されたものです。現在の治療方法や薬品の解説などにも踏み込んだ内容で、詳しくてわかりやすいので、息子はバイブルのように何度も何度も読み返し、先生から新しい薬の名前や治療法が出るたびに、めくって調べていました。



この冊子はお値段も出版社の掲載もなく、患者さん用に無料配布している啓蒙冊子なのかしら?病棟で「もう一冊欲しい」と言ったら、「自分たちはわかりません、外来でもらってください」と冷たくあしらわれて、結局そのままになってしまいましたですが、今は息子が退院して冊子も家にあるので、コピーして家族で何度も読み返しています。



さてお話を元に戻します。



さてお話を元に戻します。先生がそうおっしゃるところをみると、息子の潰瘍性大腸炎は、全腸摘出までにはいかないまでも、プログラフの投与の効果があるところで止まってしまった経緯で、そう判断されたのかもしれません。(ほかの人はどうなんだろう?)そのため、これ以上、入院していても、大きな改善は見られないだろう、という結論なのかもしれませんね。



この話を、奥様が潰瘍性大腸炎と同系のクローン病で、こっち系の話に詳しい親しい知人に話すと、「あ、これ以上いても儲けにならないから、追い出されちゃったんですね」なーんて言うんですが、残念ですが、病院の裏事情までは私にはわかりません。ちょっと検索してみてこんな記事(「2週間の入院が一番儲かる? 長く入院できない病院の裏事情」)は読みましたけど、息子がそれに相当するかは不明です。



さて、突然のように、「オレ、今週退院だって」と言ってきた息子の言を受けて、家族は微妙に大慌てwww そもそも退院と言うのは、日常生活にほとんど支障がなくなってから、と思っていた私達は、この時点でもまだ、時折具合悪そうにしていて食事もままならない状態のまま、息子が家に戻ってくることに、かすかな不安と戸惑いを覚えました。この状態で帰宅しても、三食はいったい何を出せばいいのか?



だいたい、それまで、病院食でさえあまり食べられなかった息子が、家の食事で食べられるものなんてあるんだろうか?しかも、今現在、我が家の食事当番は夫がメーンです。息子は今まで長い間一人暮らしだったので、私も夫も母(実母)も、手抜きの食生活に慣れ過ぎていて、昼食ひとつとっても、私(朝食と昼食担当)が仕事で忙しい時は、「本日は各自!」と叫べば、めいめいが勝手に有り合わせで済ませるようなライフスタイルを何年も続けてきました。そこに、腸に疾患のある息子が帰ってくるのです。これは極端な言い方をすれば、大人だけでゆるくまったりと暮らしていた世帯で、突然、新生児を引き受けるようなものではないか?息子には申し訳ないけど、そんなことさえ考えてしまいました。(人ってゲンキンなものですよね。せっかく退院が決まったのに、今度はそっちの心配だったりして・・・)



ですが、それは半分杞憂に終わりました。入院の後半は「あまり頻繁に来なくてもいい」と言われていたので、あまり息子の実態?がわかりませんでしたが、前回書いたような経緯で、それなりに好きなものは口にしていたみたいです。そして私達家族が想像した以上に、割とたくさんの量を食べられることもわかりました。



とはいえ、今も食後の腹痛が残り、まだ寛解には至っていない息子なので、食べられるものには、かなり制限があります。息子が退院時に栄養士さんからもらってきた、食べていいもの、悪いものリストは以下です。

20160827_



そして夕食係の夫は、早速、書店に行って以下の本を買いました。


 



考えてみたら、今までの私は、仕事を理由に家事をサボり過ぎていました。夫と母と私と3人暮らしの生活を、私の収入だけで維持していることもあって、夫や母の配慮や好意に甘え過ぎていたかもしれません。



私はふと、私が掃除をしたり洗濯をしたり、三食とも台所に立って、私を中心に家族が回っていて、賑やかな会話と笑顔があふれていた、子供達が小さかったころのような暮らしに、また、戻りたいな、と思いました。



元々、来年80歳になる母のことを思うと、今までのように、出張で不在が多い仕事はどうなんだろう?という思いがあって、昨年から、将来への準備の意味も含めて、アフィリエイトなども少しずつやってきたのですが、もしかしたらこれからは、そちらを加速していかないとダメなのかもしれませんね。



2016.09.18

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~14.退院までは思った以上に長かった

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院 
02.S総合病院 
03.子供の頃のように手をさすってあげたい 
04.ツムツムのお知らせが安心のサイン 
05.提案により転院を選択 
06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう 
07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)
08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生 
09.親として言葉や行動に敏感になる日々 
10.プログラフが効いてきました 
11.イムラン 寛解への準備 
12.アパートを引き払う 
13.病院で2か月ぶりの食事
14.退院までは思った以上に長かった ←★ただいまご覧の記事はこちらです。


中等症と重症の間ぐらいの潰瘍性大腸炎で、6月の半ばに入院した息子(30代)ですが、お陰様で8月の末に退院いたしました。75日間の入院でした。



食事の再開を皆で喜んだ前回の記事から2か月も経ってしまいましたが、その後の経過としては、食事を再開してからまた腹痛がひどくなり、血液検査の数値も悪化したため、5mg/日から2.5mg/日に減らしていたプログラフ(タクロリムス)もまた5mg/に増量。(4mgだったかな?記憶が曖昧・・・) 本人の希望で食事は一旦中止して、また点滴栄養のみに逆戻り。その後、1週間ぐらいでまた体調が安定して来たので、食事が復活したのですが、なんと、今度は、本人が病院食を見ると吐き気がして食べられない、という事態に。



食事再開時にあれほど幸福感を味わいながら、「うまい、うまい」と言って食べた病院のご飯だったのに、胃腸科の病院食というのは、味も薄く色も薄く、見た目も全体的に白っぽくて素材も限られるためか、「食事を見ると、うぇっ(吐き気)とする」という状況になってしまいました。それでも味噌汁やデザートのゼリーなどは大丈夫ということで、それだけ食べていたようです。



で、どの病院もそうなのかわかりませんが、ご飯(米)はダメでもウドンやパンなら行けそうと思った息子が、ダメ元でそう言ってみると、あっさり次からはウドンやパンを出してくれるようになり、病院食というのはリクエストすれば、そこそこ聞いてもらえるものなんだな、と、親子で妙に感心してしまいました。



ですが実は、ここから先が長かったのです。入院して間もない頃は、プログラフが体質に合ったようで、毎週の血液検査をするたびに各数値の改善が見られ、家族は大いに希望を持ちました。ところが、二度目の食事の再開からは、回復の進捗が止まってしまったようで、小さな朗報さえ全くなくなってしまいました。家族が見舞いに行くたびに、何かを期待して、「今日はどうだった?」と聞くのが嫌になってしまったのでしょう。息子からは、「これからは、俺のリクエストがあるまでは、当分病院に来なくていい」というLINEメッセージが入りました。



この時期の息子は、今思い出しても一番暗かったと思います。「病院に来ても俺からいい話なんかないから」と吐き捨てるように家族に告げて、非常に後ろ向きになっていました。入院中の空いた時間を利用して、始めたばかりだった資格取得の勉強も中断せざるを得ず、ポジティブになろうとして何かの希望を持つたびに、何度もそれが叶わぬ結果となり、近い未来にも遠い将来にも、全く先が見えないあきらめのような無効力感を持ち始めたのかもしれません。



病室は、1日7000円の個室から2000円の個室っぽい4人部屋に変えてもらいました。私もそれがいいと思いました。うちの息子、他人がクチャクチャと音を立てて物を食べたり、辺りをはばからずに大声で話したり、痰を出したりするのが非常に気になってストレスに感じるタチなので(病気のせいでナーバスになっている)、夫も私も、現状、大部屋は無理、と思っていました。幸い、息子の入院している病院には、隣のベッドとの間仕切りを強化した個室っぽい有料の4人部屋があったので、そちらを希望したようです。



以後は何の進展もなく、悪くなってはいないが良くもなっていない、という状況が長く続きましたが、そんな状況の中で、息子の心の支えになってくれたのが、息子が高校のときにお世話になった先生でした。うちの息子は定時制高校ですが、息子を評価し可愛がってくれたいい先生達に恵まれて、30代になった今でも当時の先生達と交流が続いているのです。



その中の一人の先生がある日お見舞いにやってきて、「俺なんか80日間も絶食した」と息子に笑って告げたそうです。先生は潰瘍性大腸炎によく似たベーチェット病で、息子が潰瘍性大腸炎で入院したと知って、わざわざお見舞いに来てくれて、初めてそれを教えてくれたそうです。ふーん、それってなんかいいよね。私なんか、高校の先生となんか、卒業時に皆、スッパリと縁が切れてますよ^_^;



で、本当は笑えない話なんだけど、その先生の話が可笑しいの。先生は80日間の絶食治療入院中に、どうしても、どうしても、どうしても、カレーパンが食べたくなって、売店で買ってこっそり食べちゃったんだって。そうしたら、その直後に激しく症状が悪化して、胃洗浄にまで至ってしまい、医師にも非常に怒られたとのこと。



息子にはそういった身近な人の体験談がすごく参考になったらしく、その話だけは、久しぶりに笑顔で楽しそうに話してくれました。



潰瘍性大腸炎は阿部首相もなったことで知られ、原因不明、治療法も確立されていない難病指定の特定疾患ながら、今では患者数がどんどん増えていて、軽い人も多いことから、特定疾患と認められない人もいると聞きました。そうなんです。息子は重症には至っていないけれど、中等症としては重いほう、という診断です。けれど、症状の重さをイメージさせないネーミングだと個人的に思っているし、「私の知っている人がその病気」という人は多いけど、軽症の人が意外に多いので、この病気のひどさ、しんどさ、を周囲は誰も理解してくれないんですよね。



そんな中で、唯一の患者さんの心の救いは、似た症状を持つ当人同士の情報共有と共感なのだ、と痛感しました。ちなみにその先生は、かなりヤンチャな患者さんだったようで、それ以外にも看護師さんの目を盗んで、売店で色々買ってひそかに食べたりしていたようです^_^; ですが、このエピソードが非常に息子の気持ちを楽にしてくれた。「それでもいいんだ」(本当はよくないけどw)。そう思った息子は、自分の体と相談しつつ、たぶん大丈夫じゃないか?と思えるものは、売店で買って少しずつ食べたりし始めました。



さて、私とクライアント先が良好な関係を保っていて、ある程度私的な話をしても許される講演や研修の場で「息子が潰瘍性大腸炎」と言うと、思い当る人は必ず終了後に挨拶をしにやって来てくれます。ある会場では、高校生になる息子さんが大腸摘出をして今は人工肛門を付けている、という受講者さんとギリギリまで話し込んでしまいました。また、別な会場では、「実は自分もそうなんです。20代で発症しましたが、理解ある上司に恵まれて今も仕事を続けています」と、名刺を持ってご挨拶をしに来てくれました。その方は軽かったそうですが、病名だけを聞いて「たいしたことない」と判断するのは相手を傷つけてしまうことかもしれません。



息子の親しい友人達は、息子が入院したと聞いても、誰もが一週間程度で済んで今は退院していると思っていたので、「今も入院している」と息子がLINEグループでメッセージすると、今度は「退院したら飲み会!」ということで、勝手に盛り上がってしまったそうです。が。が。潰瘍性大腸炎はそういった、薬や入院で時期が来たら全快するような病気ではないんですよね。



お盆を過ぎたある日、用事があって(入院中の息子に代わり、それまでかかっていた病院に傷病手当の申請をする)病院に行ったら、息子がポソッと言いました。「窓を開けたら虫の声が聞こえるんだよね。俺が入院したときは、まだ梅雨だったのに・・・」



本当にこの入院生活が、一体いつまで続くんだろうね。私でさえ、ふと、このままの状態が一生続くのではないか?と思ってしまい、息子の言葉に旨が切なくなってしまうのでした。

2016.07.14

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~13.病院で2か月ぶりの食事~

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院 
02.S総合病院 
03.子供の頃のように手をさすってあげたい 
04.ツムツムのお知らせが安心のサイン 
05.提案により転院を選択 
06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう 
07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)
08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生 
09.親として言葉や行動に敏感になる日々 
10.プログラフが効いてきました 
11.イムラン 寛解への準備 
12.アパートを引き払う 
13.病院で2か月ぶりの食事←★ただいまご覧の記事はこちらです


6月の半ばに入院、その約1週間後に転院、その間、病院に入院してからは食べ物を一切口にせず、点滴だけで栄養を補給しながら、転院したR独法系病院ではプレドニン(ステロイド、点滴)とプログラフ(タクロリムス、経口錠剤)の投与を受けてきましたが、約2か月ぶりに食べ物を口にできる日がやってきました。病院の食事時間になって病棟に食べ物の匂いがするたびに、「いいいなぁ・・・俺も食べたいなぁ・・・」と、聞いているほうが切なくなるつぶやきを何度も耳にしてきましたが、いよいよ待望の日がやってきました。



食事内容は重湯がメーンの流動食と聞いていましたが、どうやら完全なる病院仕様の流動食ではなく、重湯に味噌汁(汁だけ?)とゼリーとお茶が付いたものでした。息子からLINEに届いた写真には、「ゼリーと味噌汁に感動した」と書いてありました。



同じ日の夜は、重湯に味噌汁に玉子豆腐。「玉子豆腐がうまかった」というコメントが。こうやってみると、私達が普段、当たり前のように食事を食べているということは、意識しなくても、毎回、「味わう」という幸せ、そして「食べ物を体に入れる」という満足感を感じているのだと痛感します。それが絶たれてしまうと、いかに点滴による栄養の補給で命に別状なく生きていても、食べ物へのあこがれと切望は、私達の想像をはるかに上回るものだと思いました。ちなみにその日の昼ごはんは、朝ご飯だけでお腹がいっぱいになってしまい、食べられなかったそうです。



けれど、食事が始まったことで、体調がどう変化するかわからないし、プログラフの血中濃度も上がる可能性が高いらしく、「よかった、よかった」と手放しで喜べるわけじゃないのはわかっています。予想通り、食事を取りはじめたことで、また少しだけ夜中の腹痛が復活してしまったようですが、排便の回数は1日1回に減ったままなので、食事はストップせずにそのまま3日間、まだ続いています。



先生や薬剤師の方にお話では、食物から栄養を取ることは非常に重要で、たぶん、ここから先は多少の体調の変化があっても、よほどのことがない限り、食事は継続しそうな気がします。そうやって少しずつ体力をつけながら、生活を元に戻していく移行期間なのかもしれません。でもまだ、退院の「た」の字も出てこないので、いったいいつまで入院が続くんだろうなぁ・・・と思うと、やはり落ち着かない気持ちです。



それにしても、息子はもうずいぶん元気になって来てはいるのですが、点滴で1日寝てばかりいると筋力がすっかり衰えてしまうようで、なんと、ベッドの上に足を使ってよじ登れないのだそうです。寝るときは、ヘリに座ってそのまま横になるので気がつかなかったそうですが、たまたまベッドの反対側にあるものを取ろうと思って、回り込むのも面倒なのでよじ登ろうとしたところ、足に力が入らず登れなかったそうです。びっくりです。「たぶん、いま、俺は、階段も登れないかもしれない」とのことでした。



息子のご飯が始まって、なんとなく家の中は明るく前向きなムードになっていましたが、本日までの病院の請求額を聞いて、また暗鬱ムードに。最初の病院が10万円。次に転院した病院が31万円だそうです!あいにく息子は死亡保障しかない生命保険にしか入っておらず、今になって「どうして医療給付を付けなかったのか?」と疑問ですが、うちの息子は変な価値観と頑固なところがあるので、そのときは不要と思ったのかもしれません。



「お金のことを考えるとストレスになるので大部屋に移ることも検討している」というLINEが来ましたが、あの神経質で他人のことが気になる息子が、はたして大部屋でじっくり治療に専念することなんてできるんでしょうか?そして、言えばすぐに移れるような大部屋の空きはあるんでしょうか?今後はお金の心配に気になるところです。



2016.07.10

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~12.アパートを引き払う~

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院 
02.S総合病院 
03.子供の頃のように手をさすってあげたい 
04.ツムツムのお知らせが安心のサイン 
05.提案により転院を選択 
06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう 
07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)
08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生 
09.親として言葉や行動に敏感になる日々 
10.プログラフが効いてきました 
11.イムラン 寛解への準備 
12.アパートを引き払う ←★ただいまご覧の記事はこちらです


病状はかなり改善したものの、退院の目途はまだ全く立っていないし、現在は点滴のみで食事もまだできない状態なので、息子がアパートの解約を決めました。前の仕事が転勤のある仕事だったので就職と同時に家を出て赴任地で一人暮らしをしていましたが、その後、地元に異動になったあと転職。ですが実家では何かと自由がなく、場所も通勤に不便なところにあるので、そのまま会社の借り上げアパートから引っ越して暮らしていました。



あいにく私は出張続きでほとんど身動きが取れず、解約や引っ越しやそれに関わる諸手続きはすべて夫がやってくれました。



そして昨日は、今日の引っ越しに備えて、夫と二人で部屋の荷物をまとめに行きました。たいていのものは事前に夫がチョコチョコ通って荷造りをしてくれていたので、すでに段ボールが積み上がった部屋になっていましたが、それでも冷蔵庫のメモやトイレのマットなど、息子の生活感を感じさせるものがあると、今の会社もこのアパートも期待と希望を持って入ったのに、それを入院してしまった息子に代わって親が引っ越しの準備をするというのは、なんとなく悲しい気持ちでした。



でも思ったよ。これが亡くなった引っ越しでなくて本当によかった、って。



私は20代前半の独身だったときに、単身赴任先で発病し、そのまま亡くなってしまった父の官舎の引っ越しをしたこことを思い出しました。母と私と妹と3人の遠方旅行でしたが、娘と言うのは、親はいつか亡くなる人だと思っていますし、引っ越しを2~3日でバタバタと終わらせなくてはいけないので、悲しんでいるどころではなく、ただもう急いで急いで必死でした。



ですが、うちの母はきっと思い出すことがたくさんあって、私達の見えないところで涙を流していたのかもしれません。



よくない理由で親が代行しなくてはならない子供の引っ越しというのは悲しいものですね。遠方で亡くなった息子さんや娘さんを持つご両親の気持ちがよくわかりました。



ということでちょうど先ほど、引っ越し業者さんが家に来て次男の荷物を次々と部屋に運び入れていきました。長男も次男も遠方で仕事に就いたので、子ども達が居ない暮らしになって約10年。いまや、我が家は母の油絵のキャンパスや画材が一部屋を埋め、かつての子供部屋は私の仕事部屋になり、正直言って次男が退院して戻っていても、スペースがありません。いやはや、どうしたものか?ということを今、考えているところです。



息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~11.イムラン寛解への準備~

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院 
02.S総合病院 
03.子供の頃のように手をさすってあげたい 
04.ツムツムのお知らせが安心のサイン 
05.提案により転院を選択 
06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう 
07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)
08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生 
09.親として言葉や行動に敏感になる日々 
10.プログラフが効いてきました 
11.イムラン 寛解への準備 ←★ただいまご覧の記事はこちらです


次男がいまの病院に転院してあと数日で4週間。先週は先生から、近いうちに流動食への移行と、新しいお薬「イムラン」の説明がありました。



今まで1日5mgだったプログラフは、現在は朝夕どちらも1mgの錠剤がひとつ減って、1.5mg×2回となり1日では合計3mg。それから点滴のプレドニンも現在は10mg減りました。ですが、プレドニンはあくまでも寛解導入剤のためネット等でも書いてある通り、3か月までの投与が推奨されているので(副作用の危険があったり体が慣れて効かなくなったりする)、やがて違う薬に切り替えなくてはいけません。



潰瘍性大腸炎は人によっては再発を繰り返すことが多く、命に関わらないといいながらも、それなりに注意深く長く付き合っていかなくてはいけない病気です。そのため、完治という言葉は使わず寛解という言葉を使うそうですが、たぶんプログラフは体を平常の状態に戻すための起爆剤的なお薬なんでしょうね。



イムランという薬も、多くの方のブログで目にしましたが、同じ免疫抑制剤のようです。でも、ヒュミラとかレミケードとか、多くの方が色々書いていますが、違いはよくわかりません。



イムランという薬は効き始めるまでに1か月以上かかるそうで、そのためにも今から飲み始めてプログラフを止める準備をしないといけないそうです。着々と手を打ってくださる先生のお話を、次男を通じて聞かされると、先行きが全く見えずに病状が悪化していくのをただ見ているだけだった一か月前とは全然気持ちが違います。先生のお話はやがていつか訪れる退院の日と、それに続く普通の日々(家で普通に食事ができる日)を見据えたもので、この病院に転院してくるまでは、そんなお話をされたことがないので、本当に希望が湧いてきます。医師や病院のスキルの差、というか、扱っている症例の数の違いをひしひしと感じます。先生から「こうします」「こうなります」というお話を伺って、やがて本当にその通りになっていくのは、とても心強いものだということがわかりました。



今、心配なのは、次男の肛門にエンドウマメぐらいの大きさの大きな腫物が二つできてしまったことで、それによってあれほど待ち望んだ「口に物を入れて食べる」という日が先延ばしされちゃうんじゃないか?ということ。流動食とはいえ、食事をするとプログラフの血中濃度が上がるらしく、また便の質も変わるので(点滴だけの毎日でも便は出るんですね)そこでまた、何かが悪化すれば、逆戻りになるかもしれません。



先日、自宅の写真を次男にLINEで送ったら、夕ご飯の食べ残しのお皿が写っていたようで、母にも夫にも怒られました。食べ物を見るとうらやましくてうらやましくて可愛そうなぐらいです。そんな感じなので、まずは食べられるようになればいいなぁ・・・・と切に願うのが今の気持ちです。



息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~10.プログラフが効いてきました~

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院 
02.S総合病院 
03.子供の頃のように手をさすってあげたい 
04.ツムツムのお知らせが安心のサイン 
05.提案により転院を選択 
06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう 
07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)
08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生 
09.親として言葉や行動に敏感になる日々 
10.プログラフが効いてきました ←★ただいまご覧の記事はこちらです


R独法系病院に転院して一週間。最初の数日は状況変わらず・・・で、「これもダメか?」と落ち着かない気持ちでしたが、一週間ぐらいしたら段々新しい薬(プログラフ)が効いて来たようで、次男(30代前半/独身)の症状が少しずつ軽減してきました。



プログラフ(タクロリムス)は朝の7時と夜の19時の1日2回の服用。各回とも1mg2錠+0.5mg1錠の3粒の服用で、2.5mgずつを2回なので、1日では5mgになります。



血中トラフという血中濃度を測りながらの投与なので(濃度が高くなると副作用が出やすくなるため常に調整が必要)、週に一度、血液採取があってそのたびに検査をしますが、貧血や炎症の値は翌日(だったかな?)わかりますが、その血中濃度(血中トラフ値)だけは、一週間経たないと結果がわからないんだそうです。



毎日お見舞いに行って、「今日はどう?」と尋ねてみて、最初の一週間ぐらいはあまり変わらないようでしたが、採血の結果「貧血の値がほんのちょっとよくなっている」という先生の話があったそうで、次男は非常にうれしそうでした。なぜなら、この病気(潰瘍性大腸炎)の突然の悪化で会社を休み始め、自宅療養→入院→転院とたどってきたここ2か月の間、何かが改善したということはひとつもなかったからです。なので「貧血の値がほんのちょっと」でも、次男にとってはうれしい朗報だったようです。



それでもしばらくは夜中に腹痛と下痢で目が覚めたり、午前中不調で家族にも見舞いに来ないようにLINEしてくるなど、自分では改善している自覚は感じられないようでしたが、10日後ぐらいに1日6回だった血便が1回減り、それで初めて「薬が効いてきている」と感じたそうです。排便がとても辛いらしく、「1回減っただけでも、ものすごくうれしい」と言っていました。



やがて3週間ぐらいで便は1日1回まで減りました。といっても通常の便ではなく、血便であることにかわりはないのですが「前のとは全然違う」のだそうです。



先週(転院してプログラフの投与開始後、3週間)の血液検査では、貧血の値も改善し、炎症も値も正常値になったそうです。炎症の値が正常でも血便は出ているので、まだまだ時間がかかる気がします。潰瘍性大腸炎に関しては、多くの方がブログを書いていますが、そのなかで「待ちに待った固いウンコが出た!」という喜びと感激の文章がとても印象に残っています。本当にそんな日が来て欲しい。



でも、血液検査の結果を待たなくても、次男が日に日に元気になってきているのはよくわかります。まず、お腹の痛みに耐えて、目をつぶっていることがなくなり、ゲーム(ツムツム)を四六時中やっているようだし、見たいDVDや読みたいコミックのリクエストがバンバン入るようになりました(笑)LINEはすぐに既読になるし、会うたびに顔色や表情がよくなり、家族にはとても普通に見えます。



けれど、点滴だけで栄養を取る絶食治療はまだ続いているので、175cmの身長なのに体重はなんと46kgまで減ってしまいました。本人いわく「飢餓の国の子供みたいだ」。パジャマを着ているのを見るとそれほどには見えないのですが、脱ぐと本当に骨と皮だけなのだそうです。



先週、一度だけ脂肪の点滴がありました。次男が送ってきた写真を見て、そんな点滴もあるのか、と、驚いてしまいますが、さすがに三大栄養素というだけあって、「炭水化物」「タンパク質」「脂質」のいずれもが、本来は必要なのだ、思わされます。



2016.06.27

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~09.親として言葉や行動に敏感になる日々~

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院 
02.S総合病院 
03.子供の頃のように手をさすってあげたい 
04.ツムツムのお知らせが安心のサイン 
05.提案により転院を選択 
06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう 
07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)
08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生 
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息子(独身/30打前半)が転院する前、面会時間の終了を告げる館内放送で、手荷物をまとめて息子の病室を出るときに、なぜか私は「じゃ、また来るからね、バイバイ」って言っちゃったんだよね。



バイバイ・・・



ダメだよ、そんなこと言っちゃ。縁起でもない。



そのときは、いくら潰瘍性大腸炎が死亡率が低い難病とわかっていても、激変してしまった息子の体重、顔立ち、雰囲気などから、この先、万が一のことがあったらどうしよう?って、ずーっと思っていて(それは今も消えない感覚なのだけれど)、何の気なしに「バイバイ」と言ってしまった自分を後悔しました。



嫌だよ、それが、もし万が一何かあったときの最期のセリフになるなんて。そんなのはイヤだ。せめて違う言葉で上書きしないと。



私はふと思いついて、「忘れ物をした」と言って、病室に戻りました。そして適当に繕った後、「また来るからね。じゃねー♪」 と、言って、改めて病室を去りました。息子からは「うちの家族って、忘れ物が多いよね」と笑われました。聞けば、母(息子から見たらおばあちゃん。私の同居実母。)も一度立ち去った後に、忘れ物をしたと言って戻って来たそうです。



潰瘍性大腸炎で死亡する人は稀である、とのことですが、このときは、その「稀なケース」に息子が相当したらどうしよう?という思いが強く、本当に言葉遣いや自分の立ち居振る舞いには、気を付けなくてはいけない、と思いました。



状態があまりよくない転院前の時には、私は毎日、面会時間の終了まで息子の手を握り、さすり、トントンと軽くリズミカルに手を愛撫しながら何時間も過ごしたのに、先日は少し体調がよさそうだったので、軽くおしゃべりだけして、最後に手を握らずに帰って来てしまいました。そんな、ちょっとしたことも、妙に気になってしまうんです。



私の父は私が結婚する前年の22歳のときに、今の私よりも若い年齢(50歳)で悪性リンパ腫で亡くなってしまいましたが、そのときに母が泣きながら言っていたことを思いだします。大学ノートに付けていたお父さんの給料と家計簿の集計の書き込みが、最後のページに来た時にお父さんが亡くなってしまったんだよね。大学ノートの終わりとお父さんの最期が一緒だったの。お父さんはこのノートが終わるのと同時にあの世に行っちゃったの(号泣)。



私はそういうことってあると思うんですよね。それは、「こうしたから、ああなった」というのではなく、神様の予告というか、お知らせというか、そんな感じなのかもしれません。でもね、だけど、だから、言葉遣いや振る舞いにはすごく気を付けたほうがいいと思っていて、自分からネガティブな言葉は絶対使いたくないのね。



次の日から私は、息子の病室を去る時には、言葉遣いに気を付け、必ず手を握り、肌をさすってから帰るようにしました。こんな些細なことでも、もし何かの効果があるなら、なんぼでもするよ。なんだってするよ。



幾分、スピリチュアルな話になりますが、家族の病気というのは、自分自身に何かを要請しているサインだと思うんですよね。きっと私は、今までの生活態度を改め、もっともっと真面目に真摯に仕事や他人と向き合っていかなくてはならない、神様からのサインなのかもしれません。



だから私は明日から、色んな人に頭を下げて、未完了を完了させるんだ。安請け合いしてそのままになっているHP作成。約束したのに実行していないクライアントさんからのメールの返信。毎週通うはずだったのに、多忙にまぎれて中断している痩身治療。思えば私は、いま、たくさんの人に迷惑をかけているよ。それをさ、一個ずつ、頭を下げてピリオドを打って、終了させていくんだよ。息子のためと思えば、今ならできる。今なら平気。



こう考えてみると、そのために息子は病気になってくれたのかもしれない。待っててね、今からひとつひとつ、解決していくから。そのために、批判されようが罵倒されようが、あんたのためなら全然オッケーよ。

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症)~08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生~

息子が潰瘍性大腸炎に(中等症~重症/ステロイド抵抗性・難治性)01.個人病院 
02.S総合病院 
03.子供の頃のように手をさすってあげたい 
04.ツムツムのお知らせが安心のサイン 
05.提案により転院を選択 
06.1日7000円でも即決転院、後の事は後に考えよう 
07.新しい薬はプログラフ(タクロリムス)
08.「そんなハズはない」は禁句よ、先生 ←★ただいまご覧の記事はこちらです


転院の翌日、病院に行って息子に聞いてみると、プログラフを飲んだ(初)数時間後に、猛烈な吐き気と頭痛が襲ってきてナースコールをしたそうです。看護師さんが念のため先生を呼んでくれましたが、そこで先生がこう言ったそうです。



「プログラフが作用し始めるのはもっと時間がかかるので、そんなハズはない。」



「そんなハズはない」って言ったって、現実に、飲み始めて、今までなかった症状が出たので、「これは薬のせいでは?」と考えるのは、ごく自然な発想だと思うけど?



息子の話によると、その後も服用後、4時間経つと同じようになるので、彼の中でも私の中でも「それは薬のせい(副作用)」だろう」という結論になりましたが、影響は2~3日の間に少しずつ軽減しているとのこと。



前の個人病院でも思ったことだけど、病院の先生(ドクター)というのは、症例にないことが目の前で起こっても、あんまり信用しない気がする。まぁ、データーのほうを優先するってことで、それはそれでわからなくもないけど、よく製造の現場では、「現場・現物・現実主義」って言うじゃないですか(三現主義)。



私は製造業のライン作業経験で、起こるはずのない不良品やあり得ないマシントラブルなんてのをそこそこ見てきたので、「測定値がおかしい」のならそれは「おかしい」以外の何物でもなく、故障は故障で不良品は不良品なのよ、理論上あり得なくても。それを素直に受け止めて対応していかないと、もっと大きなトラブルになるので、日頃の「ん?なんか変だぞ?」と気が付く感覚が重要なわけですが、病院と言うのはちょっと違う気がしますね。なんとなく、目の前で現実に起こっていることを、受け止めない感じ?



もし、先生の言うとおり、「そんなハズはない」というのが真実だったとしても、それはストレートに患者さんの前で言う言葉じゃないと思うよ?たとえば「薬の副作用なのかもしれませんが、通常はもう少しあとになってから出てきます」とかね。でもそれだと、やっぱり、小うるさくて他罰的な患者さんだと、言った、言わない、の面倒臭い話しになっちゃうのかな・・・でもね、患者さん側の気持ちになってみると、「そんなハズはない」という言葉には、現実の痛みや苦痛を受けとめてもらえない不安が募るんですよね。



以下は、プログラフの製薬会社「アステラス製薬」が発行しているパンフレットですが、副作用のページを見ると、確かに頭痛はないけど吐き気はあるよね。



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そういえば、私の知人のクローン病の奥さんは、薬を変えたとたんに気絶したそうです(詳細は不明)。なので、私にも「何が起きるかわからないから、ぷらたなすさんも、びっくりだけはしないようにしてください。」と、以前、言っていたっけなぁ。。。それは決して不安を煽るような否定的な言い方ではなく、そういった過程を踏まえながら治療していくものなのだ、といった感じの、彼なりの助言であり、優しさだったのだと思います。



それにしても、こうなってしまうと、四六時中気持ちが落ち着かず、仕事がなかな手に付きません。ちょっとした合間にも、経験者のブログを探して読んでみたり、専門用語の意味を何度も検索してみたり、やることが溜まっているのに、ちっとも作業がはかどりません。今現在快方に向かっていて、なんとなく先が見えていればいいのですが、今はまだその状況ではなく、まだ方向性が全く見えていない感じです。潰瘍性大腸炎というフォルダーをつくって、チョコチョコ保存しているブックマークも、あっという間に一杯になってきました。



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