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2016年3月の4件の記事

2016.03.29

結婚生活は女次第

今日は多くの同性(女性)を敵に回すかもしれません。


結婚生活は「女次第」と思っているからです。



その理由は、簡単です。
男は単純なのでズルくなれないけど、女はズルくなれる。
このひとことに尽きると思います。


だから女はズル賢く策をこらして、
ダンナを猿回しのようにうまく動かし、
稼いでもらったり、貢いでもらったり(?)(笑)、
自分の都合の良いように動いてもらえばそれでよし。


女はその気になりさえすれば、
誰でも男(ダンナ)を手玉に取れる能力を持っていると思うので、
文句を言っているヒマがあったら、虎視眈々と戦略を練って、
巧妙な懐柔作戦に出るべきです。


意識/無意識の差はあっても、それができるひとが、
円満な家庭を築けるのではないかと強く思っている今日この頃です。



もちろん、反社会的な行動傾向の持ち主だったり、
異常人格やサイコパス的な夫を持ってしまったら、
どこかでカッチリと決断して見切りをつけて、
さっさと別れたほうがいいと思います。



そういうのは、もう、資質以外の何物でもないんで、
(私自身は、そのように生まれついてしまった本人に大きな罪はないと思えど)
基本的な部分は先天的なものなので、言葉で諌めたり頼んだりするだけでは、
全く効果がないし、普通の感覚では太刀打ちできません。



もちろん「どうにかなる」(変わる、変える)ことは可能だと思いますが、
そのためには、クールでクレバーな見極めと、
確信をもって継続できる長い年月を必要とするので、
そこまで持ちこたえられる精神的なタフさと、収入の見込みと、
健全な社会生活を継続できる自信があるなら、それでいいと思います。



でも、今、私が言いたいのは、そういうことじゃなくて、
あれこれ、許せないことが多すぎて、
気になることが多すぎて、我慢ならない・・・
というケースです。



実は私、長年、うちの夫や、多くの男性を見てきて、
ある、女王様的なツンデレの結論にいたりました(笑)



すべての女は「男好き」じゃないけど、
すべての男は「女好き」です。



しょうがないよ、出さないと生きていけない動物なんだから、
彼らは女性が必須なのよね。


女性が生きていくのに、男は必須条件じゃないけど、
男にとっては、女が必須条件なわけ。



だから男子は、
女に認めて欲しいし、女に「すごい」と言われたいし、
女に尊敬されたいし、女に「必要」と思われたい。
オトコなんて、そんなもんです。


NHKの「ダーウィンが来た」でも、
メスに気に入られるための鳥の努力がハンパないですよ。
見ていて可愛そうなぐらいの涙ぐましさです。
我が家では今もカイツブリの厳しい結婚適性テスト「恋してダッシュ」の回が語り草です。
夫が「俺は、鳥でなくてよかった」と、思わずつぶやいたぐらいです(笑)


要するにオトコは、女にチヤホヤされないとダメな生き物で、
親子でも、夫婦でも、兄弟姉妹でも、おばあちゃんでも、
相手がオンナなら、「認めて欲しい」スイッチが勝手に入っちゃう動物ですから、
そこを満たしてあげさえすれば、十分にコントロール可能ということです。


なので、”妻たる女”は、そこをよくくみ取り、逆手に取って、
適当に褒めて、適当に持ち上げて、適当に尊敬して、
適当に頼りにして、Hなリクエストにも適当にたまに付き合う。w


男子はそのようにしてさえいれば、気分がいいんですから、
そうやって、手のひらの上でいい塩梅に踊らせて転がして、
女子は、最終的には自己都合、自己利益を、
まんまと実現させたらよいのです。


そしてまた、これがまた不思議なもので、
男性はそうやって転がされているとわかっていても、
なぜか、それなりにうれしいみたいですよ。


まぁ、そりゃ、そうよね。
無視・放置・完全スルーに比べたら、ちゃんと「かまってあげている」わけですから、
「俺って利用されているよな」と、わかっていても、
頼られたり、必要とされている快感からは、逃れられないのよね(笑)


・・・ということを、理解しながら、
男性を、自由自在に操っていくのが、
「女子にとって一番都合のいい」円満な夫婦生活と思うわけです。


夫が〇〇してくれない。
夫が私を理解しようとしない。
夫のここに腹が立つ。
夫のこのひとことに傷ついた、衝撃を受けた。


それって夫を理想化し過ぎかも。
あるいは、男女は対等と思っている、あるいは、男のほうが上だと思っている、
あるいは依存です。


女は常に男の上を行くべきです。
精神的に上位に立って、敵を牛耳らないといけません(笑)


ある探偵業の社長さん(40代男性)に聞きましたが、
浮気調査で「黒」と出ても、依頼者が男性の場合は元の鞘に収まる確率が高く、
依頼者が女性の場合は、離婚の決定打にされて三行半を突き付けられてしまうそうです。
ちなみに、調査対象者が女性の場合は、決定的な証拠写真を見せられて、
女のほうが、あり得ない奇想天外なウソをついても、夫は矛先を収めちゃうそうです。
こういうのはもう、理屈でもなんでもなく、男は女性を失いたくない、
ただそれだけだと思うんですよね。
あと、基本的に、女が思う以上に、通常は、奥さんのことが好きですしね。


だから、今、家庭不和で悩んでいる人がいたら、
その人はむしろ、一途で純真でピュアな人なのかもしれません。
ですが、男ってのは、そういう動物であると十分認識したうえで、
今後のことを考えたらいいと思います。


女の精神的な自立ってそういうことだと思うんです。




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2016.03.19

コーチングを自己実現の手段にしないで

最近、ちょっと、うんざりしていることがあるんです。


「プロコーチになりたい」という人の話を聞いていると、
それって、持たざる者の自己実現の手段じゃないのかな?
と思ったりするわけ。


ある出版コンサルタントは、
「本を出したからなんとかなる、というものではなく、
すでに何とかなっている人が本を出せる」と言いましたが、
自分もそれには同感で、プロコーチになれるのは、
コーチングという分野でなくても、それなりに実績や結果を出せている人、
という思いがあります。


全員とは言いませんが、「プロコーチになりたい」という人を見ていると、
他人と優越的に関わることで、単に自己確認をしたいのでは?と、
感じてしまう人が多いです。
要するに、「先生と呼ばれたいのかな?」「尊敬されたいのかな?」って。


もちろん、そういった気持ちは誰にでもあるし私にもありますが、
それが強いと、自分が尊敬する著名なコーチのお取り巻きみたいになっちゃって、
その方のファンクラブみたいな感じで、セミナーのPRにまい進したりするので、
熱意まんまんのお誘いを、わずらわしく感じることも。


資格を取るためのコーチング勉強会に集う人には3種類あって、
コーチングの考え方を何かで知って、「これは素晴らしい」と思ってやって来る人と、
コーチングを何かの手段として身に着けたいと思う人と、あと、変な人の3タイプ。


で、見ていると、コーチングを手段と捉えている人のほうが、
しっかりしているし、ビジネスキャリアもあるし、
核心をきちんとキャッチできる、いいコーチングをするように思います。


ここでいう手段と言うのは、金銭を得るための手段でもあるし、
特定の困った誰かをどうにかしたい、という手段でもありますが、
その人達は、コーチングを通じて何かを実現したいという発想なので、
結果的にクライアントとガチで真剣に対峙できるのかもしれないね。


つまり、「コーチングは素晴らしい」「コーチングが大好きだ」
だからコーチになりたい、という人は、
コーチングを人に行うことが目的になっていて、
コーチングをしている自分、プロコーチになったときの自分自身の姿に、
焦点があたっているのかもしれません。


普通に考えると、コーチングをビジネスライクにとらえている人より、
「コーチングを愛している」人のほうが、いいコーチという印象があるけど、
私の周りの仲間たちを見ていると、実際はその逆です。


けれど、変な人ほど、周囲にあまり受け入れられて来なかった感覚があるため、
人並み以上に脚光を浴びたい気持ちが強く、高いお金を払ってコンサルを雇い、
結果的に、TVに出たり雑誌に掲載されたりする現実が実際に身近にあります。
そしてまた、そういう変な人には、これまた変な人が熱烈なファンになって、
それなりにやっていけているので、面白いと言えば面白いけど、
その人が、あなたの望むコーチなのかどうかを、よく見たほうがいいと思います。


今からコーチになりたい人は、仲間同士で活動したり、
尊敬する師匠をただ信奉するだけでなく、
コーチングとは関係のない人達とも一杯交流して見聞を広げ、
様々な世界を知っておいた方がいいと思うし、
コーチングを取り巻く世間の感覚とか、第三者の印象なども、
正確に把握しておいたほうがいいと思うよ。


「Facebookで友達5000人」の話を聞いて何が得られるか

久しぶりに会った友人と一緒に写った写真をFacebookにアップしたら、
「いいね!」が300数十件!!! なにこの数!


いえいえ、残念ながら私のチカラではありません(笑)
タグ付した友人のほうの「友達」がいっせいに「いいね!」を押したのです。


ですがそこで、疑問が生まれました。
この人って、Facebookの友達、こんなに多かったっけ?
彼女の「友達」の数を見たら、4900人代で、もう少しで上限の5000人まで行きそうでした。


ですが、友人は以前から、「Facebookはちんぷんかんぷん」
「よくわからなくて苦手」と言っていて、さほど熱心でもなかったので、
どうしたものかと思って尋ねてみると、
ある人のコンサルを受け始め、その人から与えられた課題が、
「まずFacebookで5000人の友達をつくってください」
というものだったそうです。


彼女はお店を持っている人で、すでにそっちで成功しているように思うんですが、
ある講師(女性)のセミナーを聴きに行ったところ、非常によくて、憧れを抱き、
この人からコンサルを受けたい!と思い、
約60万という高いお金を払って、コンサルティングを受ける決意をしたそうです。


まぁ、そこまでは個人の自由なので、別にどうでもいいんですが、
その女性コンサルがクライアントに課している、
「Facebookで友達5000人」という目標が、どうにも承服できません。


Facebookは面識ある同士のつながりを推奨しているので、
ある意味、それってポリシー違反ではないか?と思ってみたり、
「友達クイズ」が出たら、答えられないじゃないか?と思ってみたり。


「友達クイズ」というのは、
Facebookはいつもと異なる場所からログインしたりすると、
本人確認のためにFacebookでつながっている「友達」の写真を出して、
「この人は誰ですか?」という問いかけをしてくるのですが、
うまく答えられないと、アカウントがロックされるんですよ。


私のFacebook利用は2010年からですが、
2011年に出張先で、その友達クイズを実際に自分が経験しました。
そして、付き合いが浅い人は、
(一度しか会ったことがない人や、友達申請を承認しただけでFacebookで全くやりとりのない人)
面識はあっても、名前などはすっかり忘れていたため、
思い切り、肝を冷やした思い出があるんです。


すでにその当時、Facebookは自分の仕事上、
仕事先担当者と業務連絡を取り合うような、必須のツールだったので、
「ここでアカウントロックされたら仕事への影響が大きすぎる」と思い、
とても焦る気持ちがありました。
(LINEはまだありませんでした。)


そんな体験があるので、ただ友達を増やしていく、という手法には、
様々な面で、疑問を感じますし、
それは正しいFacebookの使い方じゃないだろう?という思いもあって、
友人の話を素直に受け入れることはできませんでした。


友人の話によると、全く知らない人に、
誰彼構わずやみくもにリクエストを送るわけではなく、
その女性コンサルさんを頂点とする相互支援し合うFacebookグループがあって、
そのグループのメンバー同士の申請だったり、
コメントや「いいね!」で多少なりとも絡みがあった人へのリクエストなので、
Facebookの仕組み的には問題がないという話らしいですが、
最初に「それってどうなの?本当にいいことなの?」とまず思ってしまうと、
否定的な感情ばかりが強力に募って来て、ついそれを言いたくなってしまうし、
反論のタイミングを常に探している自分がいることに気が付きます。


でも、ふと、思ったんです。


「お前、このやりとりから得るものは本当に何もないのかよ?」って。


一度否定的な評価を下してしまうと、それ以後の話は全く入って来ませんが、
こういった話の中からでさえも、ビジネスのヒントは得られるはずだと思うんですよね。
なのに、話を聞いて瞬時に下した自分の判断にとらわれて、
大好きな友人なのに、さっきからずっと否定的な気持ちでいる私ってどうよ?と思いました。

そういう心情って、必ず相手にも伝わると思うんです。
私はこの友人を決して嫌いなわけではありません。
なのに、「隙あらば反論しよう」と思っている自分がいて、
「ダメじゃん、これじゃ」と思いました。


すると不思議なもので、「私にとってこの話から得られるものも必ずあるはず」
と、目線をチェンジしてみようと思うだけで、
眉をひそめるような、自分の価値観に合わない話でも、
自分の利益に直結するような、悪女志向(笑)の発想が浮かんでくるんです。


真っ先に浮かんだのは、この友人の「友達」を私が逆に取りこんじゃおうかな?
というアイデアでした。


だって、みんなその女性コンサルさんの息がかかった人達なら、
メッセージなしでいきなり友達申請を送りつけても、
承認してくれる可能性が高いってことだよね?
だって、5000人を目指している人達の集団なんですから(笑)


だったら、「〇〇さん(友人)の友達です」
「〇〇さん(友人)と一緒の写真に『いいね!』をつけてくれてありがとうございます」
とか言って、〇〇さん(友人)の友達を、片っ端から自分の友達にしちゃうのも手だよねw
がははは~うっひっひっひ~♪


あるいは、やがてちゃっかり友人の「友達」から、
何らかのオーダーをもらっちゃうとかね(笑) えへへへ


または、結果的に「いいね!」の数が増えることで、
応援している友達や後輩と一緒に写真に納まって、


その人達の認知度アップに貢献してあげられるなら、
だったら、友達の数が増えていくのもいいかな?って思ったし。


実際に、その友人と一緒に撮った写真に「いいね!」がたくさんついて、
私自身は、それなりにうれしかったので、
じゃ、今度は、私がそんな人になって、
友人・知人に幸福感を提供してあげられたら・・・などと思ったり。





ここで書きたかったことは、Facebookで友達を5000人集める、
と言っている人への是非じゃないんです。


何かに一度、NG評価をしてしまうと、
それ以後の情報は「聞いていて不快」なものでしかないけど、
自分の姿勢を、ちょっと変えてみると、
新たなヒントが得られるってことなんですよね。


ほかにも以下のようなことがわかってきます。


・世の中にはFacebookの友達を5000人作れ、と言っているコンサルがいる。
・そのコンサルに60万払う人達がいる
・いわゆる「おはようおじさん」(検索してね)は、その関連では?
・だったら気色悪い「変な人」ではなく、助言に忠実で必死なKYさんなのかも。
・自分が請われて開催するFacebook講座の際にいいネタになる
・自分の見聞が広がる
・60万円払わなくても、いただき感覚で「友達」が増える(笑)


私は、「それって絶対変だよね」とか、「自分の価値観に合わない」
などという第一印象を真っ先に抱いてしまうと、
それ以降は、ずぅーーーっと、否定的な受け取り方をしてしまいますが、
物事は、いいか?悪いか?のジャッジが大事なのではなく、
そういった自己判定抜きに、単に「情報として受け取る、傍受する」
というスキルも、必要なのかな?と思いました。


「なんじゃそれは?」と思われることでも、自分にとってメリットになる内容って、
必ず、絶対あるんだと思ったし、そういう関わり方のほうが、相手も自分も幸せになれるよね。

2016.03.04

わからなくもない「ウィッツ青山学園高校」

昨日のワイドショーで、
ウィッツ青山学園高校がどれだけひどい授業か?ということをやっていて、
「あきれた」とか、文科省の副大臣まで、
「あきれてものが言えません」とかいうコメントを出していたけど、
職業柄知り得る情報としては、
様々な事情があって、高校に行かない若者もいっぱいいるわけよね。

その人達は、中学校も不登校だったりして、
出席日数も足りておらず、授業にもまばらにしか出ていないので、
当然、通常の中学卒業の学力があるわけでもなく、
ご両親はとても進路に胸を痛めています。



だから、あの校長先生は、そんな状況を、
むしろ、よくわかっていたのかな?と思えなくもない。



TVのコメンテーターの方達はご存じないかもしれないけど、
世の中には発達障害や学習障害なるものがあって、
なんらかの原因で学校に行けなくなったり、
学校には行っていても、知識の習熟に難があって、
学校という環境そのものがトラウマになっている人達もいるのよね。



そんなお子さんたちの親御さん達にはむしろ、
ウィッツ青山学園高校さんは、一筋の光だったのかな?とも思ったり。

え?就学支援金をちょろまかした?


ま、そりゃまずいわね(笑)


でも、私は個人事業主なので気持ちはわかる。


よい見方をすれば「なにかと経営が厳しかったんじゃね?」とも思うし、
でも、悪い見方をすれば、「藁にもすがりたい親を食い物にしやがって」
とも思うけど、それにしても、最近の「できない子」は、
半端なくできないし、社会性もありません。


少なくともウィッツ青山学園高校は、そういった、
一般常識では理解しえないような子ども達がいるということを、
わかっていたんだと思う。

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