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2015.06.16

こころで母を切り捨てた日

母(同居の実母)が二泊三日の旅行から帰ってきて、
夕食のキッチンのテーブルは、
大量のワラビとか、現地のお菓子とか、
母のお土産で賑やか。

「ぷらちゃん、お土産のお菓子食べる?
しょっぱいおせんべいもあるよ?」

勧めてくれるのはありがたいけど、
お菓子、そんなに好きじゃないし、
もうご飯も終っておなかも一杯だし、
それに仕事もあるし、
ひとことお詫びを言って、
早々に二階の自室に戻ってきました。

そっけないよね。

そう、久し振りの旅行で話したい土産話も、
たくさんあると思うけど、
ちょこっとだけ聞いて、
ちょこっとだけ、うんうん、と頷いて、
ちょこっとだけお付き合いして、
席を離れました。

私が母の話に関心を持たなくなったのは、
母が、私の話を聞く気がないんだな、と、
感じてからだと思うよ?

今は仲良し親子だけど、昔は母と仲が悪くて、
結構、数年前まで、けんかばかりしていました。

いえ、正確には違いますね。

関わっていい思いをしないのなら、
関わらな方が気が楽と思い始めているうちに、
段々、同じ場所にいるのが嫌になって来て、
顔を合わせるのも億劫になり、
同じ家にいても、必要最小限の接触しか
しなくなりました。

けんかしているうちは、まだいいんです。
こちら側に、「わかって欲しい」という思いがあるから。

でも、それを通り越すと、
人って段々相手に無関心になっていくんですよね。

無関心というのは、自分にとって影響のない人。
そう、いない人と同じです。

母が喜んでも悲しんでも、自分とは関係ないし、
「死にたい」ともし言ったら、「じゃ、死ねば?」と、
平常心で普通に言ってしまいそうな関係。

    *    *    *    *    *    *

今になって思うことは、親子の険悪さは、
持って生まれた資質の違いだと思うんですよね。

価値観なんて言う、優しく曖昧なものじゃないよ?

それはたぶん、人の言葉から受け取る深度の差だね。
そして主観と客観のスイッチング能力や、
イメージの広がりの差だと思う。

昔は、たまにケンカをしても、
私は母と仲良く語り合いたかったので、
自分が面白い事を見聞きしたり、
旅行に行ってきた時は、息せき切って
「こうだったんだよ!あぁだったんだよ!」と、
目をキラキラさせながら話をしたものです。

でもうちの母は、それが自分に興味のない話だと、
人が話を続けているのに、突然TVのスイッチを入れたり、
新聞を読みはじめたりするんです。

娘の私はそれを見るたびに悲しくなって傷ついて、
「どうせ私の話なんか、興味ないよね」と思うようになり、
そういう態度を見たくないので、
土産話を一切しなくなりました。

土産話をしないだけでなく、
向こうの話はすべて冷たくかわすし、
こちらから何かの話題を口にすることも、
全くなくなりました。

だけど、今の私は思うんです。

うちの母は、自分がそういう行動をとると、
相手がどう思うか?ということを、
同時進行で考えることが、
できない人だと思ったんですよね。

だってさ、親がいつでも子供の話を、
興味を持って真剣に聞いているかと言ったら、
それは真っ赤な嘘で、
ときには、つまらなかったり、
ときには、用事があって、
早く切り上げたかったりするよね。
考えたら、それはどこの親にもある感情です。

でも、今それをやったら、
せっかく、目をキラキラさせて、
今日あったことを興奮して話している、
子供の心を傷つけちゃうので、
さすがに「それはできない」と思って、
演技でお付き合いしていることも多いよね。

つまり、
「今は子供の話を聞きたくない」というタイミングは、
親なら誰でもあるわけですが、
たいていの親は、それを子供に悟られないように、
相手の反応を見ながらお芝居していることもある、
ということです。

だから、自分の身に当てはめてみると、
「子供の話を聞きたくない」ときは、
日常的にあるので、
ここでの問題は、そっちじゃなくて、
「演技ができない」ほうだと気がつきました。

あるいは、自分の行動が、
子供の目にどう映るか?という思考が、
全く起動しないしない点にあると思いました。

そしてそのときのその段階では、
これは持って生まれた資質的な違いだと思いました。

うちの母って、私とも、もちろんそうですが、
お友達とも、「言った、言わない」の論議が、
たまにあるんですよ。

「こんな風に電話でちゃんと言ったのに、
◯◯さんたら、待ち合わせ場所を間違えた」とか、
帰ってきて、文句を言っているのを聞くと、
たぶん、相手にとって迷いやすい言い方をした、とか、
きちんと明確に約束や明言をせずに、
自分だけ伝えた気になっているとか、
そんな風じゃないかと思うんですよね。

私なら相手の電話の雰囲気で、
「わかってなさそうだ」と感じたら、
大丈夫?理解している?って尋ねるし、
そうならないように、電話口で確認し合うけど、
うちの母は、言葉の読み取りが浅いので、
相手から「わかった」と言われたら、
それ以上は疑わないもんね。

そんなとき、
いつまでも理解できないのが恥ずかしかったり、
何度も説明させるのが申し訳なくて、
どうせ行けばわかるだろうと思って、
本当はよく理解していないのに、
「わかった」と言ってしまうことだって、
人にはあるよね。

でもたぶん、うちの母がとらえる「わかった」は、
「I see、OK!」以外の何物でもなく、
その背景にある相手の心のひだや微妙な思いなどには、
考えが及ばないだろうなぁ・・・などと、
思ってしまいます。

そうやって、ひとつひとつ検証して、
真剣に掘り下げて考えてみると、
うちの母は、かつて私が考えていたような、
娘に批判的で冷たい母でもなんでもなく、
ただ、ただ、
「良好な親子関係を保てるようなお芝居や、
言葉の裏を読んで適切に対応する振る舞いができない」
という、それだけのことだと思うようになりました。

ですが、それだと、
私が小さいころから、悲しく切なく望んでいた、
思いやりがあって優しく暖かい母娘の会話というのは、
永遠に不可能なのね。そう、永遠にね。
(こう書くと、書きながら涙、出て来るね・・・)

たぶん、私は、人の言葉から、
必要以上に多くの無言のメッセージや
関連するイメージを受け取ってしまうほうで、
それによって、常に無意識に、
瞬時の行動調整をしているのだと思うけど、
うちの母は、その広がりを全く持たずに、
表面的に表れる「言葉」だけが判断材料であり、
考えるための素材なのだと思います。

この大きなギャップは山よりも険しく谷よりも深く、
私は「これじゃ、意思疎通が成り立たないのも当然だ」
と思いました。

たとえば、「この服、どう思う?」と聞かれて、
「うーん、、、、色はいいけど・・・」と言った時の、
言えずに飲み込んだ言葉を母は察知せずに、
「娘もすごく褒めてくれた」と、
嬉々として友人なんかに言いそうよね(笑)

これでは、「言った・言わない」の論争になるのも、
当然だと思いました。
私は深読みをし過ぎ、母は受け取りがが浅すぎるのです。

「明日、バス停まで送って欲しいと思ってはいるんだけど…」
と濁した言葉の雰囲気をキャッチして、
私はその時点で、母の意思がまだ未決定であると受け取り、
母は、語尾の曖昧さから娘がそう判断したとは思わずに、
「意思は伝えた」と思うのです。

つまり、そんな迷っているみたいな言い方をすると、
相手にも迷いが生ずるという点に思いが至らないんだね。

私と母のコミュニケーションの齟齬は、
すべてそこから来ているのだと思いました。

    *    *    *    *    *    *

そう、思うようになってから、
私は母との心が触れ合うような会話をあきらめました。
何をどう話しても、私が思うような反応は得られない。
そう確信したときから、母は他人になったのです。

他人だったら、笑顔を見せるし、合わせもします。
感謝していなくても、口では「ありがとう」と言うし、
別ににすごいと思っていなくても「すごいね」と言います。

それは、私が母を、自分の心の中の「親」の位置から、
抹消した瞬間でもありました。

ところが、そこから、母と私の関係は、
劇的に改善していくのです。

長くなったので、今回はここまで、です。

続きは、そうね、気が向いたらいつかまたね。
では。



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