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2006.06.04

三之助は郷土の誇り

次男の野球の試合会場までは
自宅からは約60キロ。


私は首都圏にお住まいの方の距離感覚がわかりませんが、
地元(地方都市)の感覚では、この距離は、
交通の便のいい街場に住む人にとっては、億劫なぐらい遠く、
(それを理由に出かけない人もいそうな感じ)
同じ市内でも郊外で、
車がないとやっていけない(私のような)人にとっては、
女性でも全然往復できない距離ではなく、
(これ以上の距離を皆普通に帰省する。
500キロぐらいまでなら多分JRを使う人はいないかなぁ…)
仕事やプライベートで何気に東京往復をしているような人にとっては、
気軽に行ける気にならない近さ、という事になるのでしょう。


これって思えば隣県の某県庁所在地と同じ程度の距離なんですが、
先週は私は、現地のセブンイレブンに携帯を置き忘れてしまい(笑)、
それを21時過ぎに気がついて、
「明日はゆっくりしたいし、ほんじゃー、取りに行ってくるわ」と、
夜中に再び一往復して午前零時少し前に帰宅したけど、
夜の有料道路は快適で、お気に入りMUSICをガンガンかけて、
なかなか幸福感がありました(いや、マジで)。


三年連続大会が開かれた球場のある近辺は、
遠いながらも今ではすっかり目をつぶってもいける場所で(笑)、
今までは年に一度、この季節になると私と亭主は、
初戦、二回戦、決勝戦と次男の試合の応援で、
一週間おきに往復して、
毎年最終日は優勝が決まり盛り上がって帰宅したのですが、
今年は口数も少なく、沈んだ帰路でした。
それも今年で終わりだね。


さて、今日は珍しく郷土史の話です。


    *    *    *    *    *    *


例年大会が開催されている、
次男の野球会場までの道のりに、
木間塚橋という橋がある。


ここの橋のたもとに、
「鎌田三之助生誕之地」(だったかな…)みたいな
木の柱が立っていて、
ハンドルを握りながら初めてそれを目にしたときは、
思わず「へぇ…」と思った。
(うちのご亭主は道を覚えられない人なので、運転はいつも私)


今の小学校が郷土に関して、
どんな授業をやっているのかはわからないんだけど、
私が小学校のときには、三年生で「私たちの宮城県」
四年生で「私たちの仙台市」という副読本があって、
授業中にチラッと地元の事に関して習った記憶がある。


それと、道徳の教科書の一番終わりに、
各県差し替えっぽい数ページがあって、
どの学年だったか忘れたけど、
そこで取り上げられていたのも、
この人の話だったと思う。


私は、今でこそ「cssリファレンス」みたいなページを見つけると、
「お、これ見て、blogの外観変えよ♪」って思ったり、
業務的にわからない事があるとその場で検索して、
目下の疑問に関係ないネットワーク系のホームページまで、
「ふむふむ…」と理解に務めようとしちゃうんですが、
小学校の頃は、社会科が大好きで、
事、地理や歴史に関して熱意のある先生の話は、
「へぇ、面白いなぁ…」と思いながら、
ノートも取らずに耳を傾けて聞いていました。


で、鎌田三之助は当時の先生が、
「とてもエライ人」と何度も力説してくれた人なんですよね。


でも、情けないことに、私の心の記憶には、
「いつでも粗末な身なりとわらじ姿で
村と村民の為に尽くした人」って事しか
記憶に無いの(笑)。何をやった人かよくわかんない^^。
これはあれよ(笑)。野口英世の本当の功績を何も知らないのに、
幼少時のエピソードだけは知っている、みたいなもんよね。
たぶん、どっかの干拓の功労者だったと思うけど。


それで昨年、気になって検索してみたら、
あらら、鎌田三之助って「わらじ村長」という異名があるので、
貧乏な出自の人かと思っていたら、
裕福な大地主の生まれで、衆議院議員にもなった人なんだね。
かなりびっくり!


それで、雨が降ると決まって洪水になって稲が水をかぶり、
貧困にあえぐ村を救うために、父祖三代に渡って、
県内の品井沼という沼の干拓に生涯を傾けた人なんだけど、
この沼近辺は、本当に昔から水害に悩まされていて、
江戸時代にはそのために、
餓死者もたくさん出している地域らしい。
へぇ、初めて知った。そんなだったんだ。


なので、排水路の工事は元禄時代から行われていて、
その工事に伴う犠牲者や大損害や財政難やら、
昔から治水なくしては語れない地区の模様。


私は農家じゃないし、町場の育ちなので、
たぶん人にさらっとそう言われてもあまりピンと来ないんですが、
今回じっくり読ませていただいた、こちらのページを読むと、
「うわぁ、昔からどうしようもない地域なんだな…」と痛感します。
この町の歴史は、水との戦いの歴史なんだね。
きっと同じような場所は、日本中にたくさんあるに違いない。


で、元禄時代に作られた排水路が風化し、
崩落や土砂がつまってすっかり機能しなくなり、
新たに排水路を作って品井沼の水を松島湾に流すために、
公私にわたって尽力したのが、鎌田三之助って事なんだけど、
稀に見る難工事で犠牲者も多数、
予算も超オーバーの大赤字で先行きの目処が立たなくなり、
推進派と反対派の真っ向からの対立で工事そのものが、
ストップしてしまった状況を打開するために、
視察先のメキシコから呼ばれて急遽帰国したのがこの人。


以後三之助は人々に推されて村長になり、
(あんな偉大な人に村長なんて頼めるか、
と反対した人もいるらしいので、
その頃すでに実績のある政治家だったのでしょう。)
熱心に反対派を説得してまわり、
関係機関には不屈の陳情を繰り返し、
困窮する村の財政を慮ってか、
旅費も含めて報酬は一切受け取らず、
村長就任のその日から、
七三に分けていた髪を切りカイゼル髭もそり、
常に粗末な身なりで村を周り、国や県に出張に行くにも
そのスタイルを貫き通すんですが、
どうも参考ページなどを読んでいますと、
不撓不屈の政治家というよりは、非常に交渉と調整能力に優れた、
暖かみと魅力のある人格者って感じがしますね。


この三之助の熱意が実って、やがて工事は明治43年に完成し、
村民は水害から開放され、村は干拓事業によって、
新たに千三百町歩の農地を得るわけですが、
そうだなぁ、こういう話は小学生の頃に聞いたって、
面白くも何とも無いし、ちっとも記憶に残らないかもね。


今思えば、当時熱弁を振るった先生は、
この地区の出身だったのかもしれないし、
鎌田三之助は当地の人達にとっては、
「村の誇り」なんだよね。


昨年、次男の試合で応援に行った米沢市は上杉家ゆかりの地で、
球場そのものにも、「上杉スタジアム(又は上杉球場)」という
ニックネームが付いている位だし(正式には米沢市営球場)、
町の人達が本当に当時の殿様を
誇りに思っていることを感じたんだけど、
今回の鎌田三之助も、鎌田記念ホールっていう施設があるぐらいで、
あぁ、なるほどねぇ…と思いました。


    *    *    *    *    *    *


実はなぜ今頃こんな事を書いたかっていうと、
球場までの道のりの途中に、
「明治潜穴公園」とかいう、意味不明な名称の公園がありまして、
三年前から気になっていたんだよね(笑)。
なんか、潜穴とかいったら誰かが潜伏したようなイメージっぽいけど、
でも「明治」だし、そんな事はなさそうだし、
もし何かの「事件」がらみだったら、公園になんかならないし(笑)。


で、今年は珍しく帰宅してもそれを忘れずに覚えていて、
昨日またまた検索してみたら、
これぞまさしく品井沼干拓成功の決め手となった
排水路の呼び名で、
私はもう一度、鎌田三之助について書かれているページを、
じっくりと読み直し、
こんな話を今の人達はあまり知らないことを、
少しだけ残念に思ったりしたわけです。
しかも仙台に住んでいると、県内の他の地区のことは、
本当に他人事だし、情報も無いし、
ニュースでやっている程度のことしか知り得ない。


私は今は川のそばに住んでいますが、
あまり氾濫した話は聞いたことが無く、
(川べりの農家が昔堤防の外に強制移住させられた話ぐらいかな)
祖母や母の昔語りは、
もっぱら私んちの出身地である、
秋田県の過去の大火の話に限られ、
こと水害に関してはあまり考えたことも無いのですが、
そう言えば、かなり前にハマった「信長の野望」にも、
治水というポイント項目があったっけなぁ…
こういう話を知ると、確かに河川管理って大事で、
本当に昔からの課題なんだな…と初めて気がつきます。


転勤族一家だったため地縁の薄い私の感覚からすると、
「そんなひどい土地になぜ住み続けるの?」という
疑問もあったんですが、考えてみれば農家は土地こそが
商売道具だもんな。
それに移転の資金を作ろうにも何をしようにも、
そもそもそういったすべての障害になるのが水害なわけで、
士農工商の時代にその土地・その生業で
生きるしかなかった人達は、
どれだけ苦労したことかわかんないよね。


初夏の道を走っていると、両脇の田んぼの稲が、
風にそよそよとなびいて気持ちがよく、
ここにそんな話があったなんてとても思えない。
ちょっと遠出すると、いろいろな発見があってうれしいです。


地名が多く固い文面なので、地元の人じゃないと、
ちょっと読む気がしないページだと思いますが、
品井沼干拓に関して非常に詳しく書かれている、
読み物のようなサイトがありましたので、
以下にご紹介しておきます。


鹿島台歴史散歩 水との戦いの記録


※こちらのサイトの作者の鹿野さんとおっしゃる方は、
 郷土史家の方かと思っていたら、
 なんと、当地鹿島台町(現在は合併により大崎市)の
 前町長さんでした^^;どうりで文面から
 ふるさとへの熱い「愛」が伝わってきますね!

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